青い空と蒼い山と碧い海

やっぱり私、走るのが好きだ!未来予報ハシレルヤ

続ける為に。

コロナの感染者数が増えてきている。このまま行けば、緊急事態宣言、自粛要請、諸々のイベントの中止、の悪夢のような流れは免れないのだろう。実際、各地のマラソン大会や宝塚公演の中止を踏まえると、この流れは現実のものとなりつつあるように思われる。

自分に関わる話では、ラソン大会とラブライブのライブが中止になってしまう。これは困った。このまま中止の波はどこまで広がっていってしまうのだろうか、もしかして、楽しみにしているあの公演や自分が備えてきた大会にも……?と不安な気持ちになる。*1

ラソン

さて、多くのマラソンランナーは、さまざまな努力をしている。筋肉中のミトコンドリアの増加を切望しながら、毎日狂ったように走る。その時間を捻出するために、飲み会の時間を削っているし、睡眠時間を削っている。体重増加も問題になるから、食べるものだってそこまでジャンキーにならないように心掛けている。

その努力は何の為だろうか?もちろん、大会で結果を出すためだ。結果を出すために、自分を満たされない状況に置き、自分を尖らせていく。*2

しかし、大会が無くなってしまうと、その尖らせた自分を発揮する場所が奪われてしまう。もちろん、それは特別な出来事ではない。努力をしても発揮できずに終わる場合は沢山ある。故障とか。広い視点から見れば、努力を棒に振る要因に、コロナが加わっただけだ、と考えることもできる。

それでも、自分のコントロールできない理由で機会を奪われるとなると、やっぱり別なのだ。やりきれない気持ちが溜まっていく。

ライブ

ラブライバーとしては、2つの視点から物を考える。キャストはこの日の為に努力してきたのだろうな、という演者によりそった視点と、この日を楽しみにしてきたのに、というファンの視点だ。

演者によりそった視点は競技者の視点とあんまり変わらない気がする。マチュアでやってる我々と仕事(いきがい)としてやってる彼女たちでは、感情は桁違いだろうが。この日のために準備してきたのに、生きがいなのに……等々。ファンが去っていってしまったらどうしよう、という実質的な不安もあるだろう。まぁ、競技者の視点とあんまり変わらないと書いたが想像でしかない。キャストがどんなことを考えているのか、を推察するというのもアイドルコンテンツの楽しみの1つなので、各々好きに想いを馳せよう。

さて、ファンの視点では、開催されるか分からないライブの応募を必死に行い当落に一喜一憂し、そのたびにホテルや移動手段の目星をつけ……となると、疲れてしまうのだろう。そもそも、生物としてどんな記憶も薄れていくものだ。ライブの間隔が開けば、更新されてゆく『中止』というネガティブな感情が残ってしまう。こんなことになるくらいだったら、開催がより濃厚なコンテンツに鞍替えしよう、と考える人も多いはずである。

誰も悪くない

勿論、我々は社会の歯車なので(笑)、日常の仕事は続いていく。仕事→ストレス→発散、というサイクルから発散が抜け落ちた、歪んだ日常の出来上がり。病む人が増えていくのも仕方がない。

ただ、こういったストレスを大会運営者とか、運営とか、政府とか、医療機関に向ける人々が居るが、この未曾有の事態にあっては誰もが納得する答えを出すことなどできないので、実際にはどこも悪ではない。皆、自分を守らねばならない。決して私利私欲を貪っているわけではない。*3

だからこそ、やりきれない。で、やっぱりそのやりきれない感情を昇華する先もない。

辞めないためのアプローチ

と、いろいろ考えてみると、こんな酷い、凄惨な状況下にあっても何かを、好きで居続ける、やり続ける、ことはその程度がどうあれ凄いことだと思う。そうであるためのアプローチには色んなやり方があって大変よろしいと思うのだが、僕は2つの方法を時期によって組み合わせれば上手くいくんじゃないかと勝手に思っている。

  1. 目標達成志向型のアプローチ。どんな時も推し続ける、やり続けるという、精神力を要求するやり方です。このやり方だと成長や理解を深められる一方で、1ヶ月とか、3ヶ月単位での時間制限がある。当然だが人間に無限に湧く活力なんてものはないので、それが尽きて仕舞えばバーンアウトが待っている。そこで、そうなる前に、次のやり方を採用することになる。*4
  2. 半歩下がって付き合っていくやり方。目標とか考えずに、ゆるーくやっていく。ライブに全て参加するんじゃなく、家でお酒飲みながら、ご飯食べながら見るとか。ポイント練めんどくさいし、レースも近くないしパスしちゃうかー、みたいな。あんまり練習の意味とか明確じゃないけど、走って旅してみようかな、みたいなスタンス。

結構な人が1のアプローチを続けすぎてバーンアウトしているのを見ているけれど、ちゃらんぽらんにやる時があってもいいと思うんです。続けるために。続けていれば別の景色が見れることもあるので。推しから離れる瞬間があってもいいと思うし、全然練習しない時期があってもいいと思うんです。みんなもうちょっと肩の力を抜こうよ、と感染爆発を前に思いました。

 

*1 あと飲み屋に行けなくなってしまうが、エンデュランススポーツの競技者としては明らかに飲み過ぎなので、好都合かもしれない、、、あ、宣言中は飲酒量が増えたのでダメだな、やめてください。

*2 と、ここまで書いたが、僕はそういう人たちに憧れはするものの、そこまでストイックにはなりきれていない。ストイックにやりきらないからこそ、日常普通に走れる喜びがあるし、ポイント練でそこそこに頑張った時の満足感がある。

*3 時々、性悪説を採用している人の言論を見かけるが、思うよりも世界は悪くないはずである。極論に走ってしまうと人生は辛いはずで、そのような人は常に誰かを攻撃していて、なんというか見ていていたたまれない。

*4 エネルギーが尽きる前に人間は何らかのサインを出すのだが、そういったサインに鈍感な人もいるし、まったく出ない人もいるので、意識的に休養を取ることが非常に大事である